さて、舌を出すのは
仕掛けた方なのか、仕掛けられた方なのか。
爽やかに煌き流れて行く繊細なエネルギーと
黒かろうが、光だろうが、他を侵食し腐敗させゾンビ化していくエネルギー。
その両方が自分の中にあったとして、
どちらを手に取るのか、というせめぎ合いは多かれ少なかれ
誰もが経験しているのだろうが、
それが長引けば長引くほどに、業は深まり、
見ることを避ければ避けるほどに
気づけば汚染源と同化し、自身の魂の腐敗臭にも気づくことができない状態になっている。
そんなことが、まだまだ
いや、今だからか、頻発しているのかもしれない。
取り込まれるもの、
躱して、再び立ち戻ってくるものの違いは何なのだろう。
汚泥にまみれても、たとえ小さな灯になっても輝き続けるもの、
美しさ、強さ、清らかさを求めつつも
その反対の道を行き、朽ちながらも振り向かず、
更に加速し進みゆくものの違いは、どの時点で生まれるのだろう。
魂の経験、の為なのだろうか?
この期に及んで?
今のこの地点で?
この世界はこの見えているセカイだけではない。
だからこそ、ここが、今が、正念場なんじゃないのか。
ああ、それも、別にいいんですがね。